心動かされる話

「トルコと日本の絆」エルトゥールル号遭難事件、イランからの日本人脱出へとつながる絆







人の絆、人の心は時を超えて受け継がれる、本当にいま私たち日本人が持つべき心の絆は、長い時を経ても日本人でよかったと思える、そんな絆であってほしいと思います。

親日国「トルコ」と、「日本」が育んできた時を超える絆の話をさせてください。



エルトゥールル号遭難事件



時は明治時代の 1890年にトルコから日本を親善訪問した木造フリゲート・エルトゥールル号は、幾多の困難に合いながらもトルコから日本にたどり着き、目的を果たして、いざ帰るぞと同年9月の



日本に台風がドカドカくる季節



帰路のため日本を出港しましたが、悲しいかな和歌山沖で台風に遭遇し強風にあおられたエルトゥールル号は岩礁に衝突、浸水により水蒸気爆発を誘発して乗船員600名以上が海に投げ出されました。


和歌山県の先端、串本町にある灯台下に流れ着いた船員生存者の約10名が数十メートルの断崖を登り灯台にたどり着いたのですが、灯台守はその男の瀕死の状態に驚きつつも応急手当を行い、大島村(現在の串本町)の住民に連絡、住民はまだ暗い中、総出で、どんどん岸に流れ着いてくる疲れ切った生存者たちを力の限り救い続け、生存者の救助と介抱を続けたのですが、時は明治時代の中央からほど遠い貧しい村で、また台風続きで保存食量も少ない中で、


自分たちの非常食を全て取り出し、わずかに蓄えていた米でおにぎりを作り、非常用にと飼っていたニワトリすら供出して生存者に食べてもらい、救護にあたりました。自分たちの明日よりも今日の彼らを救いたい。その一心で。


懸命の介護で69名の人名を救うことができ、また一方、587名の尊い命が海に沈んでいった悲しい事故ではありましたが、生存69名はその後日本政府の手厚い保護のもと、軍艦「比叡」「金剛」にて無事にオスマン帝国(現トルコ)まで帰ることができました。


トルコの方々は日本への大きな感謝の気持ちを忘れることなく、いまでもトルコの教科書には、エルトゥールル号のことが載っているとのことです。


生活が貧しくても人を救う気持ちは高い

それが私たち日本の先人たちであることに

誇りと感謝の気持ちでいっぱいです。



危機迫るイラン、脱出できない日本人



時は流れて 1985 年、イラン・イラク戦争で、イラクのサダムフセインは「いまから48時間後に、イラン上空を飛行するすべての飛行機に対して、国籍、民間等を問わず無差別に攻撃する」と宣言、


イラン国内にとどまっていることは危険


世界各国はイラン国内にいる自国民を救うため、軍用機や自国チャーター機をイラン、メヘラバード国際空港に派遣、どんどん各国の人員が自国へ救出されていく中、日本国内では当時、自衛隊の海外派遣はできず、唯一国際線を運航していた日本航空も自社搭乗員の安全が確保されない状況での供出はできないとなり、イラン国内の法人救出ができない状況に陥りました。


どんな状況でも取りうるすべての手段を使って自国民を救出するのが「国家」の存在意義であり、使命ではないのかと思いますが「日本国家」は自国民を救う手段を持ち得ていなかったのです。



イランに取り残される法人 215 名



多くの使命をもって、イランに趣き働いていた法人 215 名(家族含む)は日本国からの救援、チャーター機を信じてメヘラバード国際空港に待機しますが、各国の救援機が各国の自国民を乗せてどんどん飛び立つ中、一向に現れない日本からの救援機、


迫りくる無差別攻撃の期限……


タイムリミットまであと3時間……

タイムリミットまであと2時間……


そこに一機の飛行機が降り立りました、タイムリミットまであと1時間15分、


トルコ航空機だ!


イランにはまだトルコ人が数千人滞在している、しかし、その飛行機は、日本人215名を救うために来てくれました。


タイムリミットは迫っている

決して安全な空路ではない

フセインが48時間という期限を守る保証はない


しかし、トルコ航空機は私たち日本国民を救うために、来てくれたのです。


さかのぼること数時間前、野村豊イラン駐在特命全権大使は自国日本からの救援機が来ないことからトルコのビルレル駐在特命全権大使に窮状を訴えたところ、ビルレル全権大使は


「トルコ人なら誰もが、エルトゥールルの遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょう」


と答えたとも言う、要請を受けたトルコ政府、トルコ航空では緊急会議が開かれ、パイロットの志願者が募られます。


「イラン(テヘラン)で救援を待っている日本人がいる、非常に危険なフライトである。それでも行ってくれる者は手をあげてくれ」


「私が行きます」

「私が行きます」


その場にいた全員のパイロットが志願してくれたのでした。


飛行機に乗ることができず空路での脱出が間に合わなかったトルコ人は徒歩でイランから脱出したという。自らの危険を顧みず、他国の人間であろうと救ってくれたトルコと日本との絆が、何よりもトルコと日本の「もっとも大切な宝物」なのかもしれません。



ワールドカップトルコ戦



2002年 FIFA ワールドカップ決勝リーグ、トルコ 対 日本では惜しくも日本はトルコに敗れました。本来自国が勝利したならば自国の栄誉を一番に称えるのが普通ですが、


翌日のトルコの新聞に書かれた言葉は


「泣くなサムライ。心はみなさんと一つだ」


だったのです。


対戦した相手国(日本)を一番に気遣うトルコの気持ち、わすれません。


国際社会はグローバル化を推し進め、産業構造を変化させ、自己責任という旗のもと資本と利益のみを追求する社会を作ってきました。

「経済自由化」の名のもとに失われて行った「絆」や「繋がり」は、いまの有事において、それでもなお、私たち人類の一番の宝物でありつづけるのでしょうか。


私たちはそれでも、「人」の心の根本は「絆」であることを信じて、これからも、明日に向かって進みたいと思います。





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